2024.07.26
メディアコミュニケーション学部こどもコミュニケーション学科の中島金太郎講師(専門分野:博物館史/歴史考古学)の研究成果が、長崎の魅力を発信する季刊誌『樂』64号で紹介されました。
中島講師の研究が紹介されたのは、佐世保湾に面する西彼杵半島の北端にある横瀬浦を特集した記事「海のシルクロード 横瀬浦」です。横瀬浦は、その歴史として「永禄5(1562)年、ポルトガルの宣教師たちが関係が悪化した平戸の次に開港し、国際貿易都市となった。たちまち豊かに賑わったが、豊後商人によって焼き討ちされ、わずか1年でまちは消滅した――」といった定説を持っていました。これは、イエズス会の宣教師たちが残した書簡から窺い知り得たものでした。
中島講師は、横瀬浦がかつて国際貿易都市だった証しが残されていないかを探し求める発掘調査を主催。2020年から4年間行なわれたこの調査の結果、戦国時代から江戸時代初期に使用されていた貨幣、キリシタン遺物の可能性があるガラス製品などのほか、中国や朝鮮の中近世の幅広い時代の陶磁器が出土しました。横瀬浦では、ポルトガル船が来航するよりも前から、そしてポルトガル船が去った後も、長きにわたって海外との交流があったという、驚くべき事実が判明しました。
横瀬浦での発掘調査の様子
中島講師が今年2024年度から2026年度までの3年間、科学研究費助成事業の交付を受け、研究チームを率いて横瀬浦のさらなる発掘調査を進めることも記事中で紹介されています。
■中島金太郎講師コメント
横瀬浦は、現在では知名度が殆どありませんが、日本史上重要な存在と言えます。例えば、イエズス会宣教師のルイス・フロイスは、1563年に横瀬浦から日本への第一歩を踏み出し、織田信長などとの交流を経て、戦国時代の日本を記録した『日本史』を著しています。また、横瀬浦の焼き討ちの後、南蛮貿易港は長崎市の福田港、そして長崎港に移っていくことから、横瀬浦は現在の長崎の発展の源流にあたるのです。このように、横瀬浦を解明することは、日本の中世史や貿易史、キリシタン史の解明に大きな意義があります。
今回の発掘調査は、8月26日(月)から9月1日(土)の7日間実施し、中世当時横瀬浦に存在したと伝わる教会「横瀬浦天主堂」の痕跡や焼き討ちの痕跡の発見を目指しています。また、今回の調査には、学芸員資格取得を目指している江戸川大学の人間心理学科、現代社会学科の学生が参加します。今日の学芸員は、高い専門性と実務能力が求められており、今回の調査は学芸員に求められる専門的な調査・研究能力を現地で学ぶことを目的の一つとしています。特に地方自治体の学芸員募集は、考古学専攻の募集が多く、現地調査と整理作業の経験が求められます。今回の調査が、学生たちの経験と能力向上に繋がっていくよう、指導していきたいと考えております。
江戸川大学学内での発掘調査練習
中島金太郎 講師