研究所・センター
基礎・教養教育センター
基礎・教養教育センター 講師
修士(文学)
学部生の頃からアイルランド文学を専攻し、ジェイムズ・ジョイス(1882–1941)やフラン・オブライエン(1911-1966)、エリザベス・ボウエン(1899–1973)といったアイルランド人作家の小説を研究してきました。これらの作家たちは、蓄音器や映画やラジオといった当時の新しいメディア技術に敏感に反応し、紙の本に印刷される小説というメディアの限界を追究しようとしていたのではないか、という仮説を立てて研究を進めるうちに、複数のメディアの性質を横断的に分析する営みにも関心を向けるようになりました。論文の読み書きを英語で行うことが多かったため、その経験を活かしいくつかの大学で英語を教えてきました。
「文学」は、詩・小説・演劇といったジャンルをゆるやかに指す言葉です。最近では、文学の研究など社会の役に立たないし、そもそも文学などあまり読まれなくなっている、という声が様々な場所から聞こえてきます。しかし、詩はポピュラー音楽の中に強く息づいていますし、多くのアニメやゲームや映画には物語という要素が不可欠ですし、私たちは日常的に、詩歌や戯曲に由来する修辞や言葉遊びに触れています。つまり、様々な地域や時代の文学が言語の垣根を行き来しながら育んできた言葉の技法は、いくつものメディアを横断しながら、私たちの生活の隅々にまで浸透していると言えます。そうであるならば、詩や小説や演劇を様々なメディアの網目の中に位置づけ、それらに詰め込まれた種々の言葉の技法を丁寧に読み解く作業は、私たちの日々の思考や感情のあり方、あるいはそれらが引き起こす問題を言葉の面から理解するうえで非常に有用な手段であると考えることができるのではないでしょうか。
言葉のルールや言葉に基づく思考のあり方は、時代や地域やメディアによって様々に変化します。異なる時代や地域の小説や詩を丁寧に読み解くと、自分にとっては当たり前に思われる考え方や意思疎通の方法が、実際には特殊なものであると気づかされることがしばしばありますが、そうした経験は非常に刺激的です。
そもそも小説や詩、そして文学とはいったい何なのか? という問題に、ひとまずそれらを一種のメディアとして捉えることを出発点にして取り組もうとしていますが、無謀かもしれません。
ジェイムズ・ジョイスを中心とする20世紀前半のアイルランド人作家の小説と、蓄音器やラジオといった音響メディアの関係を、静かさと賑やかさという視点から分析しようと試みています。具体的には、賑やかさや静けさを直接的に表現することができる蓄音器やラジオや映画が普及する中で、それらをあくまで間接的に表現する紙の本に頼るしかない小説家たちがどのような反応を示したのかを明らかにしようとしています。
英語I・ II・III・IV、Academic Reading I・ II
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